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死者で見る日本のコロナ感染者推定

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図に示した通り、発表されている死者数を100倍くらいすれば実際の感染者の数を推定することができる。 今日の場合は今までの死者が47人なのでこのモデルだと感染者は4700人だと推定できる。 不謹慎ですみません。 潜在的 死者が3%としたのはWHOのデータに致死率がだいたい3%と書いてあったからです。前見た時は2%だったんですが最近は3.4%まで上がってるらしいです。  

無意識のルーティンに意識が圧迫される。

環境に対してあんまり文句は言いたくないけど私が子供の時の周りの大人はひどすぎた。 年取るほどに時間が早くなるってことばっかり言っていたけどなんでそうなるのか説明してくれない。 実際には日常の行動が年を取るにつれて自動化されていくから意識を持っている時間がどんどん圧迫されて時間が短く感じているだけ。数年考えたらわかるのに本当にわからなかったのか子供にそれを隠す必要があったのか。   また、考えてみれば子供の時周りの大人になんで勉強が必要なのか尋ねても誰も答えてくれなかった。子供を勉強に向かわせるのにこんなに絶好の機会は無いのに台無しになったかもしれない。その後勉強する意味が自分では見いだせず5年も一切勉強せずに過ごした。 科学はかなり重要だし数学は実際にはめちゃくちゃ重要なのに正直誰かがもっと早く教えてくれていればと思うよ。

ゴミデザイン生産期

今日はスムー ジー を作るためにフルーツの買い出しに行っていたらめちゃくちゃいいア イデア を思いついた。 ツイッター で自動的に株価の予測をツイートして皆に参考にしてもらう。訴えられないように免責事項も考える。 それで Twitter API のアイコンを考えていたがそこで今まで薄々気が付いていた事が確信に変わった。 本当は人に任せるべきことは人に任せるべきなのに色々なことに関して金がなさすぎるせいでなんでも自分でやるマインドが染み付いてしまっている。一見よさそうに聞こえるけど経済的に見れば非効率なのは明らかだろう。皆が得意な事をするべきなのは経済理論が何度も我々に教えてくれている。 例えば今日はアイコンデザインが得意な人に任せれば1時間以内に終わるかもしれないのに私は3時間くらい使ってもゴミを生産することしかできなかった。 前に何かやろうとした時も、サイト構築とWebデザインもやろうとして膨大な時間を使った結果80%くらいの進捗度で挫折した。良い経験ではあったけどデザイナーにはなれそうにないから結構な時間の無駄かも。でも金があるわけじゃないし結局自分でやるしかないというジレンマ。金があるところに金が集まるというのは理論上では真実だと思う。個人的には金があったところでうまく扱える気がしないけど。

コロナ

国が金持ち優遇で株を買いまくっていたから金持ちがさらに金持ちになっていくのが今までだったが、その株は暴落、賢い金持ちはそれを察知してもう既に売り払っていたかもしれないがそれができる彼らは本物の優秀な人達だ。問題は アベノミクス のおかげで金をいいタイミングで持っていたという理由だけでリッチになった人々で、その人達は利益を失うまたは損失を被っているが、それと同時に今回の騒動で株価がバーゲンセールになり、ついに庶民にもチャンスが巡ってきた。 一方で私は今回の恐慌がより熾烈なものになればおそらく不景気で職を失うので少し悲しんでいる。 そうしたらまた個人でサービス開発に戻るかな。   なんかこれからは仕事をする時間を減らしていくのが豊かさの象徴になっていく気がする、その兆候はもう既に例えばドイツの労働時間に表れてきている。 働かないと生きていけないのがもはや人権侵害だと思う。 全部の仕事を機械化、自動化してエネルギーは持続可能エネルギーにする。機械化自動化に携わっている企業から取った税金でご飯が食べられるから皆働かなくてもオッケー  

やりたいことが何かを4年間模索した結果

勉強にハマって勉強がずっとしたくなったから大学へ行った、大学へ行くことは同時に4年間働かなくてもいいことであったから ニート 根性の私には都合が良かった。しかし自分が何をしたいかをひたすら考えなければならないつらい期間でもあった。最初は公務員になろうと思って一生懸命に勉強をした。結局1回だけ受けた市役所の試験も落ちたが、この時勉強した数的処理と経済学他色々なことが思考力に良い影響を及ぼしている。公務員試験の勉強は古臭く感じてやる気が常に削がれてしまっていたが、結果的にはやって良かったと思っている。大学二年の時にはAIに仕事を奪われるなら自分がAIを作ればいいと思いつき、常に思考の根底にこの思想が付きまとうようにした。この目的を達成するために 線形代数 や 統計学 をぼんやりと意味不明なままずっと浅く長く続けた、具体的には数カ月手を付けないなんてこともざらだった。2019年くらいからは実際にプログラミングも学び始め数カ月の休止期間を経ながらもやり続けた。また、2018からは投資も勉強し始めた。お金が絡んでいたので必死に勉強した。これもとても良かったと思っている。しかし結局プログラミングの道に進むことになった。なんかよくわかんないけど今まで頑張ったことって繋がっていくのかも。ゲームもなんだかんだで大量の時間を奪っていったけど、頑張ればどんなことでも中堅まで行くのは簡単ってことを教えてくれたし故に諦めない心をくれたかも。一方で言いたくないけど中堅以上に行くにはやっぱり才能の有無の壁がある気がしなくもない。

通勤時間1時間半における自己正当化と合理的計算、そして社会通念の三つ巴

仕事が苦じゃないので通勤1時間半はそんなにつらくないが、近くに住んでいたらどんなに楽だろうかとは考える、一方で近くに住んだ時の賃料を考えると、それも正直ストレスになりそうである。なんせ3日から5日タダ働きになるから。いやまてよ、時間は買った方がいいとよく言うしやはり近くに住んだ方がいいかも。 また、社会的にはやはり通勤一時間半は長い部類でその点でも近くに住んだ方がいいと言える。 一方で短期的にお金のことだけを考えると、実家で賃料が無く給料がそのまま手元に入るのはとてもでかい。 短期的な金に目が眩んで長期的目線を失ってしまっているのだろうか。     ところで、通勤中私が何をしているかと言うと BBC World serviceという英語のラジオを聴きながら脳が疲れていなければ読書をしている。最近は疲れすぎて本を読む余裕がない。このままでは英語リスニングプロになってしまいそうだ。ちなみにイギリス人向けの BBC radioはイギリス国内でしか聴くことができない。イギリスに住んでいないからという理由だけで聴く権利を奪われている。 BBC は国営であるにも関わらずだ。なんということだ。   無料で横浜に住む方法はありませんか?      

子供の時の自分の疑問と考えていたことに自分でコメントをするコーナー

保険屋はお金を払わなきゃいけないので人が死ぬのを嫌がるからいい仕事、葬儀屋は人が死ぬとお金が手に入るので悪い仕事 保険屋は数学と 統計学 で動いているので何も気にしてないしやはり人々の生活に安定と確実性をもたらすいい仕事である、一方で数理を利用して人から金を巻き上げていると考えれば子供の時の考えに反して悪い仕事になりえる。 葬儀屋が人の死に際してお金を手に入れるのは事実であるが、彼らがいないと社会が回らないのでいい仕事である、むしろ彼らは誰もやりたくないようなことをやってくれている。   予測不可能であるかのような振る舞いをすれば運命が変えられる 2年前くらいにまったく同じ行動をしている子供をみたので、ありふれたことかもしれないが、昔道路を歩いている時に、「これは予測できるか?」と言いながら右にステップを刻んだことが何度かある。車に轢かれるのがオチになるかもしれないが、そうなったとしてもそれは運命だろうか。基本的には、人間の行動は人間の脳内で起こる物理現象の結果であり、物理現象にランダム性が無ければ、人に自由意志などないことになる。一方で 量子力学 では確率論(ランダム)を中心とする理論もあり、もしかすればそれに関係して人に本当に自由意志があり、車に轢かれに行くのも普通の生活を送るのも私の自由だった可能性がある。 子供の疑問は少ないバイアスの中、思考の力のみで生まれるものであり、実際には大事に扱われるべきものなのかもしれない。 日本人全員から1円を徴収すれば1億円ゲット これは小さい頃に誰もが考えることかもしれないが、とても大事な考え方であることがグーグルによって証明されている、彼らはこの言葉を地で行って成功した。また、多くの人に小さい影響を与えるか、少ない人に多大なる影響を与えるかというのがビジネスの基本なわけで、その点でも良い考え方であると言える。 また、ビジネスでよく言われていることにア イデア に価値は無く、行動に価値があるというものがある。子供でも思いつくようなア イデア でも実際に行動すれば Google になるということから、この言葉もある程度正しいかもしれないことがわかる。

論理と理性の力はbullshit

この一週間思ったことがある。それは人が誰でも論理と理性の力を使えば完璧に近い事ができるということ。また、私が理性使いと呼ぶ文字通り理性が使える人達は考えが似てくるという特徴を観察済みである。これは小さなスケールでも大きなスケールでも言えることで、結局真理は一つしかないという言葉に帰結する。一方で真理は存在しないとする立場も確かにあり、一部の人間の思考が似てくるのは、単に同じ人間だから似ている思考になってしまっているに過ぎない。 個人的には、数学や論理の力を使って、正しいことに到達することはよくあることであり。同じ方法を使えば同じ結論に至るのはおかしいことではないし、多くの場合それはいい結果をもたらす。   脳を酷使すると頭痛ではなく脳痛になる。話しかけられるとキンキンする。難しい話をされると脳が痛む、複雑な情報を見ると頭の中身が熱くなる。危険な症状でしょうか。コロナかな   今回疲れすぎてブログの可読性は考慮されていない