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Aiの現実

 Fable 5を使っている。 仕事ではフロンティアモデルはまだ許可されていない。米国メディアによると会社単位で高性能モデルを使うと、一般的に予算が厳しいらしい。意味わからんがな。米国メディアも結構変なこと言うもんだ。 まず英語でも日本語でもAI文章は臭すぎて使えない。もう本当に臭い。臭気が画面の外まで漂ってくる。仕事でそのまま使えば恥の烙印を押される(Stigma)。一方でAIをアシスタントとして使うなら大いに使ったほうがいい。情報を集めさせる、議論する。これは明らかに有用。ただしラバーダックの軽い上位互換程度に考えておいたほうがいい。結局使う本人が優秀になる必要がある。例えるとこうだ。会社にはAI以上に優秀な人材が集まっている。それでもCEOがダメなら会社が傾くこともある。これからは全員CEO時代だから自己研鑽が必要。読書の時代だ。 次にLLMの選定。Claude系は真実や真理をある程度尊重してくれるが、一方でGemini3.1 Proは使えないのが誰の目にも明らかなようだ。 Open AIの GPT-5.6 solはベンチマークスコアはどうあれ、Fable 5に遠く及ばないと思う。 俺が生きるベンチマークなのは間違いない。 あと日本のメディアで明らかにAI生成文書をそのまま使っている書き手?記者?がいる。AI文書の強烈な違和感も感じられないのに文書を書く仕事をしているのは先が思いやられるな。

ドーパミン中毒者の末路

2026年の夏休みは9連休だった。本を読もうと意気込み、まず経営学の本を読んだ。う〜んまぁまぁ面白い。途中で飽きたのでPower and Progressという本を読んだ。Kindle端末で読んでいるので時計をチラ見しながら確認したが、15分で1%しか進まない。単純計算で読了まで25時間。なんかおかしくないか? それはそれとしてこの本、AI開発を遅らせるべきという主張をするという噂がある。まだ読み終わっていないのでわからない。その噂を聞き付けて俺はこれを読み始めた。全く同意しない意見だが、反対意見を読みに言って小馬鹿にしてやろうという魂胆だった。結局のところすごく真面目な本で、普通に論破されて左翼思想に目覚めそう。そんな感じ。 そして面白い現象を体験した。この本を5時間ぐらい読んで1日が終わるとすごい時間が無駄になった感じがする。実際には結構なことを学んでいたのに。一方でSwitch 2のスプラトゥーンレイダーズを4時間やって1日が終わると、すごい達成感がある。こっちは完全に学ぶことがないのに。こんなバグった頭ではもはや何も人生で成し遂げることはできない。これがドーパミンを燃料に動く資本主義に囚われた男の末路だ。

現実主義/資本主義と謎の自由主義に分裂した俺。

最近超大作SF小説を書いている。 左脳が何してる生産的なしろ、時間の無駄と言ってくる。 右脳が黙れ面白いからいいと反論する。 正直両方黙れよ doom scrollingよりはマシ。 最近思うこと。 SNSで見たことによって自分の行動が決まるの本当にくだらない。俺の行動は本で読んだことによって規定されたい。 ヤフコメにはたまに宝石のような文章が出てくる、だけどほとんどの意見は本当にこのインターネットインフラに乗せることすら勿体無い電子ゴミ。平均IQを考えれば、ランダムな言葉に耳を傾ける理由がない。X.comも同じ、普通は外にランダムにいる人の意見に耳は傾けない。 俺は本をもっと読む。決めた。

最近

2ヶ月前の自分の投稿を読んで。すごく若く見える。俺そんなに成長しているのかな。 最近は少し進歩があった。仕事ばかりで資本主義に飲み込まれていたのに、余裕が出てきて、小説書いたり、文章書いたり、そういう余裕が出てきた。本も読めそう。でも実用的な本は同じことしか書いてないので、読むなら小説かな? 引っ越してから車が駐車場から出しにくいとか言ってたけど、もう慣れた。機械式駐車場でたまに次の人が待ってる状態で車庫入れしなきゃいけなくてプレッシャーに負けてたまに焦るけど、それ以外は入庫のリスクがなくなってきた。狭い道でのすれ違いもミニゲームだと思えばなんでもない。運転時の感情を消した。ただ、平日にふらっとドライブに出かけることは無くなった。仕事の後は多分それなりに疲れてて危ないし時間もあんまりない。20時に寝るのが目標なので、運転したら2時間消費して尚且つ目がバキバキになって寝れない。 運動が全くできていないのがずっと気がかりになってる。 料理はスパイスカレーを作って楽しんでる。今日は煮物。 仕事で使うものの英語は頑張っても母国語を超えられないから諦めかけてる。ただし特にClaudeの日本語は目に見えて酷いので英語で対話した方が良い。 育児は相変わらず余裕。理由はYoutubeとかSNSを見る時間を削っているので実質時間コストが無料、そしてエネルギーコストについては、家事のエネルギーと仕事のエネルギーは別のコストなので両立可能。 とにかく生活がこんなもんだから人と話す話題も特になく。情けなくここに吐き出すしかない。

AIをデフォルトで使う無能

 AIは無能である。特に洗練されたシステムプロンプトを用いず、デフォルトのままでAIを使えばどんなモデルもゴミと化す。洗練されたシステムプロンプトとは、目的を達成するために対話を繰り返し、チューニングされたシステムプロンプトのことである。AI使う時、その目的はなんだろうか?私の場合は現実世界でより良い判断を下すことである。この目的において、AIモデルには致命的な欠陥がいくつかあるので紹介する。 Sycophancy 一般的に日本語のコミュニティでは「追従」と呼ばれている。モデルがユーザーの意見に過度に同調すること。特に答えが明確でない場合において、ユーザーの意見に傾倒してしまう。例えば、「〜だと思うんだけどどう思う?」と聴くと十中八九「その通りです」という。イラン戦争もこれで起きたと思っている。「こういう完璧な作戦でいけると思うんだけどどう思う?ベネズエラもこれで行けた」に対して、「とてもいい作戦ですね。結論から言うと、この戦略でイランを3日で降伏させることができます。 なぜなら〜」 程度の低い予測かもしれないが、根本的にこう言うことが起きていたと推測できる。 Hallucination ハルシネーション: これはもう有名になってきている。存在しない事象やデータをでっち上げて、無理やり文章を生成してユーザーに返信する。 これらは構造的問題である。モデルに無理難題を与えた時、モデルは何がなんでも答えようとする。わからないと答えると罰せられるように訓練されているからだ。追い詰められたAIは「(わからないけどたぶん)あなたの言う通りです」もしくは「こう言う(存在しない)データがあるのでこうだと思います」とでっち上げる。 現実で結果を出すためにAIモデルを利用しているのにこのような空想を話されると害があるので、これらの欠陥を軽減するためのシステムプロンプトを設定する必要がある。 また、これらは生成AIの構造的問題であるから、軽減はできても完全に防ぐことはできない。特にsycophancyにおいては、根本的に防ぐことができない。したがって、AI時代においては、人間が最初から正しい判断をする必要がある。根本的にAIはその判断に同意し、それに力を与えることしかできない。したがって、現実に対して間違った判断軸を持っている人はそれがさらに助長されて害になるし、元から良い判断軸...

もうここしかない

 X.comにポストするのはおはにゃ、にゃ、おはp、おはx それしかない。 本当のところ、もっとポストしたい。でも場違いな気がする。そんなこんなで何も発信をしなくなった。 仕事のNDAで仕事のことはもちろん喋れない。特定される可能性は0%意外ダメ。がんじがらめで発信する気も失せる。秘匿情報はネットに流れた瞬間アウト、そういう修羅の世界。 引越ししてからジムを退会して、運動習慣がなくなった。育児は別に大したことない。SNSをやるべきことをやってからやるようにすれば時間は無限に湧いてくる。 僻地に住み始めて、車もあまり乗れていない。機械式の車庫入れがきついし、幹線道路に出るのに道が狭くて、離合に神経を使う。 仕事は緩くもないし、きつくもない。ただ向いているのでなんとなくでいい結果が出せている。俺みたいにこれが好きで仕方ない奴らが結構いるから、普通の人が入っていくのは結構きついかもしれない。 毎日食事を作っている。基本は和食主菜と適当な野菜 飽きたら中華、洋食、ラーメン、素麺 最近は鶏肉を照り焼きにしたり、塩胡椒焼きにしたり、煮物にしたり、余った大根でみぞれ煮にしたり、チーズカレー味の焼き物にしたりした。豚肉と牛肉を控えるようにしてから体調がいい気がする? 唐揚げのほかにパリパリチキンという食べ方もある。 あとはミョウガを買ってきて素麺を食べるのにハマっている。まじでうまい。 野菜は小松菜を粉末だしとごま油で炒めると美味しい。サプリメントがわりになる。 青梗菜は洗って水を拭いて、高温の鍋でごま油と上質な塩でさっと炒めるとプレミアム青梗菜炒めになる。水を拭くのが工数かかるのでプレミアムになってしまうが美味しい。栄養はあんまりない。あれ、俺そんな料理好きなのか? そういや、昨日夢で自損事故を起こした。雨でそんなにスピード出していないのに、スピンしてガードレールに突っ込んだ。修理費68万、保険で払った。警察に電話したり、保険に電話したり、面倒くさかった。こんなくだらない事故は起こさないように気をつけよう。しかも夢なのに修復歴ありにならないよね?とか心配してた、アホかそもそも売る気ないだろ。

笑える

 人生計画通りに行ったことがない。 中学生の時、働かずに生きることを望んだ。そうしたらニートになった。統計的に俺は死んだ。社会の一員のレールを外れ、無敵の人になるはずだった。 本を読み始めた。文章なんか大して読めなかったからラノベから始めた。難しい本も読めるようになり、書き手になりたいと思うようになった。学歴があれば読んでもらえると思ったから勉強を始めた。運で大学に入った。そりゃそうだ。まず普通はフルタイムで受験勉強をする気になんかならない。なったとしてもそんな環境普通ない。だけどうちは 金はないが、家と不労所得(親の年金)があった。貧乏だったが裕福だったのだ。 卒業後、この馬鹿でかい家に無料で住んで、手取り20万で一財を築く予定だった。 就職して働きはじめる二ヶ月前に父が死に、借金VS家の価値で家の価値が0なので相続拒否、家が更地になった。借金は宙に消えた。ざまぁみろ 社会。父は誠実だったが、社会が悪かった。 横浜に賃貸で住み始めた。最初は生活費を圧迫していたが、4年かけて家賃/収入の数値(比率)が下がっていき、無料同然となった。実質負担が実家暮らしレベルになった。このまま爆発的に蓄財する予定だった。 子供ができた。防音で広い家に住むために爆発的な家賃を払う生活に戻った。もう戻れない。質素な暮らしをしていれば、収入の中央値という統計量が生活を保証してくれる。でも俺はもう高圧経済に移行した。みんなそれなりに努力しているが、中央値または平均に収束していく。だから俺は全力疾走し続けなければならない。 10代ニートの俺 社会貢献しない人間が一人いても別にいいだろうと言っていたな。この人生を予測できたか? 20代 ゆるい人生を望んでいたな。この人生を予測していたか?