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社会貢献の道筋が見えない

ネットで自分より若い人間を見る機会が増えてきた、才能ある人達も見てきた。しかし彼らが堕落し、才能を無駄にしていくのも多くみた。思えば自分にたいした才能は無かった、よーいドンの競争で勝ったことは一度としてなかった。ゲームは他の人が通常の生活をしている間にずっと練習をしていたからそこそこ勝てた、勉強はとにかく続けてきたから形になった。だから大きな才能がある人が堕落していくのを見るのはつらい。 それなりに継続してこられたのは以前学んだ 倫理学 の影響もある。自分の潜在能力は最大化しなければならない。そこから転じて、やはり有限である資源が自分に注がれている以上、その効果は最大化しなければならない。自分に資源が注がれて、それを無駄にするのならばその資源は他の人が受け取るべきであった。ここで疑問が生じる、どのような尺度で受け取った資源の効果を最大化しなければならないのか。聖書を読んでみると、いわゆる黄金律の箇所が何か教えてくれそうだ。これを拡大解釈すると他の人への貢献は推奨されているように読める。 ここで個人的に思うことがある。人に貢献する道筋が全然見えない。どうすればいいのだろうか。資本主義を信じて、貨幣を受け取っているからある程度の貢献をしていると考えていいのだろうか。しかし一方で 英語圏 ではBullshit jobといって社会的意義の無い、本来なくても良い仕事を多くの人がしていると主張する人もいる。努力の方向性をもう少し考える必要がありそうだ。   参考:   マタイによる 福音書 22:37-40   イ エス は言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と 預言者 とが、かかっている」。

オンラインコース再開

統計学 を独学するのが結構きつくなってきたのでオンラ インコース を受けることにした。データサイエンス、 統計学 とアンドロイドアプリケーションについての3つの授業を買った、90%セールだったので コスパ が良い。日本語の教育コンテンツにはもはや期待すらしてないので言語は英語、生徒の母数の桁が違うから故にクオリティも高い。 思えばほぼ0からデータサイエンスの仕事に関われるようになったのも数年前に受けたオンラ インコース と「気合」の効果が大きかったように思う。ちょうど90%セールをしているときに勉強してみようと思えたのは神の導きに違いないのであと半年くらい頑張ってみる。統計検定1級を来年夏までになんとかして取りたい。まずは2級。

資本主義の実態

資源の最適配分を考えるのが経営者であり資本家。 ブルジョア ジー と プロレタリアート の対立はあれど、資本家は必要な仕事だし、それなりにフェアな対価を得ている。   通りを歩いていて車を見ていていつも思う。もとは地面や地中に無作為に点在していた素材を適切に組み立てるとめっちゃ便利な乗り物になる。すごすぎ。 石の塊が建物になって人が中で便利に暮らせる。人間にとって無意味だったものを再構成して意味のあるものにする。そしてそれを完璧な形でうまくやるのが経営であり資本家の仕事である。 思えば経営とは、 イデア 界との交信である。何をするにも完璧な形がある。私は理性主義者だから理性の力で イデア 界に繋がれると思っている。つまり何事も良いものを思いつきたければよく考えろということだ。皮肉にもこれは現実社会で事実だと証明されているように見える。自分が思いつくようなものは他の誰かがすでに思いついている。熟慮すればだれでも イデア 界にアクセスでき、完璧な、あるいはそれに近いものを思いつくからだ。これがア イデア 自体に価値がないとされる所以である。理性は神によって平等に与えられている。これは素晴らしいことだが、こと現実社会で実績をあげるとなると、他の人間よりうまく他人に貢献する必要があるから平等性のあることに価値はなく、 イデア 界へのアクセスはただの前提となる。   資本家は責任を負っている。ある土地を買い占めて何か店を出すとき、その土地を利用したかった他の資本家の機会を奪うことになる。そのような状態で価値のない事業をすれば、社会にとって害悪でしかないから資本主義から追い出されるのは自明である。労働者の個人においても同じことが言える。労働者も自分という資本を持っており、誰かに雇われれば他の労働者の枠を奪っていることになる。にもかかわらず枠を奪われた労働者より良い仕事をしなければ、社会にとって害悪であり、資本主義からなんらか罰を受けるのは必至だ。よってどのような場合であっても資本主義の成員となるのならば責任が伴う。   この責任を放棄した先に待つのは資本主義における貧困である。  

大学生 卒業間際の万能感と競争社会のギャップ

学生時代、俺はブレインパワーで人や社会に貢献できると思っていた。 経営判断 なんかもできると思っていた。しかし競争社会に飛び込むと一瞬で自分の無力さを知った。平凡以下の評価を突きつけられた。競争社会の構成員は非常に競争的である。その誰一人にも勝てない。学生生活とはなんとぬるいものだったのか。 卒業してから3年目になる、ブレインパワーを売って生きているのはある程度当初の見込み通りかもしれないが、まだ全く平凡を抜け出せる気配がない。 まずは日本一を目指して頑張ります。