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9月, 2021の投稿を表示しています

ブログ発掘隊

以上

歴史に学ぶ教訓

ペロポネソス戦争 の教訓 1、中途半端な介入 取るべき行動は全力を持って攻撃する(All-in)、または何もしない。 中途半端な軍事攻撃・介入は歴史的に、長期的な戦争に発展する傾向がある。 例) イラク戦争 、 ペロポネソス戦争 2、代理戦争の危険性 今回は代理戦争というわけではないが、 北朝鮮 の後ろには中国とロシアが付く可能性がないこともないので危険ではある。 ペロポネソス戦争 では、CorcyraとCorinthの戦争に アテネ とスパルタが介入し、 大戦争 に発展した。 3、リーダーの重要性 ペロポネソス戦争 で、 アテネ は有能な指導者 ペリクレス を病気で失ってから愚衆政治となり、戦争に負け、崩壊した。 ジョン・F・ケネディ は キューバ 危機において、対話によって核戦争を実質的に防いだ。 トランプ大統領 は周りに優秀な人材を揃えているが、歴史にならえば、どう動くかは結局本人によるところが大きいはずである。 4、不可避性 Power Transition Theory(日本語訳不明) 、一国が極端に強いという状態が国際情勢を一番安定させ、2つ目の国が力を持ち始め台頭してくる時点が、不安定状態で戦争が起きやすいというような理論。 どちらかというと米国に対して中国が台頭している状態がこの理論に基づけば危険ではあるが、米国と 北朝鮮 だけを見た時には、 北朝鮮 は侮って良い国ではないが、米国の力には遠く及ばず、この理論の不安定状態には当たらないので、この戦争は避けることが容易にできるはずである。だが、中国の台頭によって不安定化する中、 北朝鮮 での諸々の出来事が引き金となってという可能性はある。国際関係は複雑であり、これに関して結論は出せない。 5、Pyrrhic victory 長期的な戦争は勝った方にも重大な損害を与えるため、避けなければならない。尚更1、の重要性が際立つ。 例)、スパルタは アテネ に勝利したが、ひどく疲弊した。  第一次世界大戦 ではもはや勝者がわからないくらいにヨーロッパ全体が疲弊した。(最後に乱入した アメリ カの一人勝ち)←日本、 アメリ カの台頭、第2次世界大戦へ。 第一次世界大戦 の教訓(原因) 1、ドイツの方針 ドイツは海軍を強化していたが、どうして海軍を強化するのか、ドイツ自身が何をしたいのかをしっかりと国際社会の場で公表

メタ倫理学 リアリズム

1,Realism;倫理的真実は 潜在的 に知り得る;人々の中に存在していることもあり得る。 2,Rationalism;Reason(理性)を使えば、倫理的真実に到達し得る。 ex)Aquinas. Kant . Ethical truths exist 'a priori' - prior to experience. ←倫理的真実は人間の存在前からの法則 3,Naturalism;倫理的真実は自然に存在し、人によって"体験"されることによって理解される。  Mill; 何が良いかは、何が幸福を最大化し、苦痛を最小化するかによる。"Happiness"と苦痛は知ることのできる事実である。  Hume; Moral judgementはPassion(感情)に由来する、感情は人の中に”存在”するがしかしそれは我々が経験する事実である。       ※our emotions are part of nature. Aristotle; 人々の中に存在する特性は実在のもので、彼らの行動の中にそれを見ることができる。それぞれの個性は倫理的真実である、しかしそれを知るためには観察が必要である。← アリストテレス は意味不明 ☆Naturalism and the autonomy of ethics. 現実から乖離し、抽象的にだけ議論できる時、倫理はautonomousである。 ex)a^2+b^2=c^2 ←これは真実ではあるが、誰も完璧な三角形は描けない。 DeontologistsにとってAutonomyは重要な特徴である。しかしNaturalismは現実世界の事実しか扱わないため、このAutonomyと相性が非常に悪い。 RationalistsはNaturalistsの敵である。(同じリアリズムでありながら!) ☆MacIntyreのVirtue ethics  Naturalismを支持;完全に抽象的に倫理的ルールを探し当てることを望むことは間違い。それによって見つけたルールはどのような基盤にも基づいていないことになる。EthicsはMysteriousであってはならないのであり、現実世界の目的と機能に基づいたものでなければならない。ex)(抽象的である)価値観が行動を特殊なものにする;Aをするなという

倫理学と宗教の決定的な違い

倫理学 と宗教の教えの決定的な違いは、 倫理学 が理性を使って到達される真理であるのに対して、宗教は必ずしも論理や理性に基づくものではないということだ。しかし宗教も、長い年月を経て、たまたま真理に触れた”良い教え”が言い伝えられ残り、結果的にそれが 倫理学 の到達したルールと似通うことがあるのである。 たとえば、 倫理学 では、あるルールが倫理的かどうかを判断するのに「普遍化」を用いる。 つまりそのルールを全ての人が厳格に守ったらどうなるのかを理性を使って考えることでそれが正しいかどうかわかるというのだ。 「どこにポイ捨てしても一向にかまわない」 「歩道のヒビを踏んではならない」 「人を侮辱するべきではない」 等の文言が倫理的(=正しい)かどうかは普遍化によって確認ができるというわけである。暇があれば考えてみてほしい。 だが一方で、たとえば「人を殺す」というのはもはや考えずとも直感的に間違いであるように思える。 そこで出て来るのが 直観主義 である。これは物事の良し悪しは絶対的なもので、かつ、それは人間の直感によって到達できるとするものである。 例えば猫ちゃんを残虐に殺すとなると我々は有無を言わさず吐き気を催す、大多数―99%、というレベルで人々はこれに賛成しない。これは何色が好きか、アイスクリームのどの味が好きかというような「意見」とは違い、人々は倫理的な問題に関してはほとんどが直感的に同じ考えを持っている。このように物事が倫理的かどうかを判断するのに人々の直感は信頼できるとするのが 直観主義 である。   2017-05-27

ブログ発掘

大学生時代に書いていたブログを見つけたのでその中で良かった記事をこれから転載していく。

2021年の反省

2021年初頭に3つの目標を立てた。それらの目標を達成できたか等を振り返る。   1円を大事に 完全に倹約家として過ごせたわけではなかった。しかしできる限り必要な物には金を使い。不要な物は遠ざけた。以前は長期的に悪影響のあるものであっても節約のために金を投資するのを渋っていた。今年からその制限をなくし、長期的観点などから必要だと思われるようなものには資金を投下するようになった。故に完璧ではない点も多々あったと思う。この反省を生かしつつ、今後も1円単位で効果を最大化するような購買行動をしたい。また、収入に関係なく衣食住の生活水準はこのレベルを維持したい。 勤勉 大いに達成できた。仕事が苦じゃないことは本当に幸いである。毎日の就労後、少しは気力が残っているのでそこで学びの場を設けることができた。 生産性と規模性を両立 生産性に関しては少しずつ向上しているように思える。しかし規模性に関してはあまり進展がない、しかしこの一年を通して生産性と規模性の向上と拡大を意識していたのは確かである。この目標についてこの一年は準備の期間のように思える。来年もこの目標を引き継ぐ可能性が高い。   その他、今まで立てた目標と進捗状況 節制 - 2018年, 2019年 2017年以前は金もなく、吝嗇家としての生活を余儀なくされていた。その習慣を引き継ぎつつ、自らの欲望に過度に基づくような消費を避けるという意味でこれを設定した。 倫理学 的には、節制のある状態とは、欲望が節制に向いている状態であり、そこに葛藤が無い。普通は、自分の欲望と理性が常に闘っており理性が勝つこともあれば、負けることもある。2021年現在、私はほぼ葛藤もなしに、欲望に関するものから遠ざかることができている気がする。極めて良い状態だと評価することができる。 フレンドリーになる – 2018年、明るく振る舞う - 2019年 2020年以降、現実世界で人と接する機会があまりなく、成長が止まった。極めて悪い状態であると思う。こと自分の意見を形成、発言することに関してはビジネスライクな状況に関しては向上した。また、他者との対話においても、2014年などに比べると極めて良くなった。明るく振る舞うことについては、重要性は理解している。私が学業などに本気を出すように、コミュニケーションに関しても本気になる必要性は感じているが、行うは難

最近の出来事

久々に日記   仕事 ソフトウェア開発、プロトタイピング等だいたいワンオペ。楽しいし色々勉強になるから個人的には良いけど効率性を考えると誰かと ブレインストーミング して正しい方向に軌道修正しながら進んでいきたい。一人でやる場合、試すことを一人で考えて、全通り試してうまくいったものを残していき最後に組み立てる。勉強も大事だが、 理論武装 よりも良いかもしれないと思った方法を全通り試す方がこの分野では経験上有効である。最終的には 理論武装 +全通り試行で効率的に最善の解決策に辿り着けることを目指している。本当に質の高いものを作りたい。   自転車練習 ハードワークしすぎて体調が悪くなったが病院に行って問題なかったので再開。 爆食いとト レーニン グを繰り返すも体重があまり増えない、せいぜいプラス0.8kgぐらい? ただ体の色んな部分が筋肉に置き換わっている感じがある、特に脚。体を作るための食事で食費が高騰中。頑張れ俺の体と財布   勉強 データサイエンスのオンラ インコース 受講、60%程度完了 ウェブサイト構築の必要が出てきたので Django の勉強を始めた。以外と面白い。 統計学 は保留中、必要性はあるけどまじで興味ない。気合出せ俺。   総評 この一点突破の時代、何か一つの事を究めるのが良いと言われる中で、バックエンドだけじゃなくてウェブ制作もやろうとするのはどうなのかという葛藤がある。しかし俺の理性はこれをよしとする。思えば子供の時から何かを作るのが好きだった。しかし現実世界で物理的に何かを作るのは大した参入障壁が無く、 レッドオーシャン だと思う。プログラミングも参入障壁が高いわけではないが、色々の制限の中で何かを作らなければならないので、知識と創造性が試される。楽しいから今後も続けられそう。政策決定もやりたかったけどこれは本当に学歴と面接でのアピール力が足りない。でもこのブログで好き勝手書くのも楽しいからいいか。

一律給付金反対

結論 一律給付金を求める声が多い。 しかし地球上の資源は限られていて、全員がセレブみたいに暮らせるわけではない。 使い方次第で日本の未来を切り開く可能性があり、かつ有限である資源をその扱い方を知らないものに渡してはならない。 人類の 不労所得 をゲットしてから配ればいいじゃん。       給付金を配る方法はある、それによって ハイパーインフレ にもならない。 財政破綻 もしない。確かにそうだが、だからと言って配る理由にはならない。   資本主義における弱者は、資本を集める手段を持たないため、一時的に給付金を得たとしても、資本を集める手段を持つものにそれが回収されるだけである。これで彼ら(資本主義における弱者)になんらかの長期的利益があるのだろうか?加えて、金を配っても確かに ハイパーインフレ にはならないだろう。しかしながら、インフレ圧力にはなる。少なくともインフレ方向には傾く。インフレは国民にとって実質的な 増税 である。考えてみればわかるだろう、インフレが起きると、同じ資金で買えるものが少なくなる。 増税 も同じ結果で同じ資金で買えるものが少なくなる。 増税 に反対する層が結果的に 増税 と同じ効果をもたらす給付金を求めるのはおかしく見える。しかし経済はそんなに単純なものではない。  増税 とインフレーションは消費者にとっては一見同じではあるが違う点がある。それは借入金が実質的な価値を減らすということ、つまり、債務者に有利に働き、債権者に不利に働く。インフレーションは金の価値がカスになっていくことである。数千万の借金があったとして、インフレによって数千万がカスになれば、借金は実質チャラである。この点においては、国民の中で債務者はこのインフレの効果を期待して給付金を求めてもおかしくはない。   しかし、経済理論の話になると、学者でさえ、現実世界にある資源のことを忘れる。資源は有限である。給付金はつまり資源を配って歩くということである。それが有限である以上、惰眠を貪るものに渡してはいけない。 つまり、政府が金を使いまくるために プライマリーバランス を廃止して金を刷りまくる、 国債 を発行しまくる。それ自体は問題ない。しかしその政策で使えるようになる資金つまり資源をどううまく扱う、操るかは日本の死活問題に直結しており、甘く見てはならず、国民及び政策決定者は資金がど