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資本主義の終焉2

ところで、経済の目的とは、資源の最適な配分に尽きる。貨幣がないときは、価値を持っていて魚を食べたい人と、魚を持っている人があまりマッチングされず、魚が腐るということが起きた。貨幣が登場すると、自分が好き勝手に社会貢献するだけで食事をとることができるようになった。貢献度の高い人に貨幣が集まり、その人はもっと貢献できるようになった。過去には、社会貢献ができないものは飢えて淘汰されることもあった。しかし時がたつと、社会貢献できないものの中にはやる気があり、かつ力がないために貢献ができないものがいることがわかった。彼らに社会の力を分け与えて、戦力に加えることができることを知った。現代では、社会はどんどん強靭になり、何もしない人にも食事を分け与えることができるようになった。   さて、資本主義は転換点を迎えていると思う。 現在の資本主義には二つの未来があるように見える。 一つには、持続可能で自動化された社会を実現する組織に金が集まり最終的にそれが達成される。人々は必ず働かなくてはならないということがなくなり、資本主義はその目的を達成する。 二つ目はそのような理想論は実際には実現されず、上記目標を達成する前に地球の環境が枯渇または荒廃する。   地球の環境は俺らが生きているうちは核戦争が起こらない限り大丈夫そうだからこれから資本主義社会で生き抜くためには一つ目の達成に貢献するような仕事や役割をこなしていく必要があると考えられる。   ここから導き出される推奨される役割: 人が働かなくてもよくなる仕組み作り     自動化(プログラム or robotics)         農業自動化    工業自動化         医療自動化 地球環境を維持する仕組み作り  効率化           無駄なエネルギー(地下由来)消費をなくす           持続可能エネルギー生産の効率化 現状維持   物流 他、資本主義の達成目標から推論できる役割全部    

操作系能力者Facebook

テレビの発明以降、テレビ番組の視聴に没頭することは堕落の代名詞だった。時間を奪われ、受動的に娯楽を与えられ。何かを買うようにと煽動もされる。強制的に画一的な資本主義的労働者・消費者層/グループに組み入れられる。しかしインターネットの登場以降、一部の人々は理性を取り戻し、テレビ番組の束縛から逃れるに至った。しかしそんなことも長くは続かない。 Facebook の登場により状況はもっと悪くなった。人々は能動的に、自由意志を持っていると勘違いしながら アルゴリズム に操作されるようになった。テレビCMは見ている視聴者全員が見るものだったが、特定のセクターにいる人々に絞った広告を Facebook は見せることができる。煽動がインターネットによって効率化された。賢明な人たちも アルゴリズム に知恵で負かされ(outsmarted)、特定の行動パターンにはめられるようになった。 広告を出す側にとっては好都合になった、 Facebook に広告を出せば、商品が売れる。 そこに Facebook の価値がある。消費者と提供者をマッチングしていると考えればそれは価値であるが、しかし一部の消費者は自分の意志に反して(本人は気づいてないかもしれないが)商品やサービスを買わされているように見える。