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親との関係と人格形成

親はたぶんある程度教育するだろうから子供は親の経験で得た知見と、親の良い面に学ぶ機会がある。一方で親の最も悪い面は反面教師で子供にはあまり受け継がれないのではないかと思う。 だとすると人間は完璧じゃない(悪い性質が一つはある)と仮定した場合、親が考えてもいなかったような予測不可能な性質が今度は子の悪い性質として現れる可能性がある。 このプロセスの中で親がコン トロール できるのは自分の経験や知見を子に教えることである。そうなると子供の人格形成をより良いものにするならば、親が勤勉で色んな知識や知見を教え込めるのが最適に思える。しかし勤勉という性質が子によって悪い性質だと認識されれば単純にやばい。こう考えると人間の人格形成が成功するかどうかは理論上運まかせに思える。昔から残っている言葉や年取った人が言っていることを勘案するにこの運任せをどうにかするのにはやはり子を愛することが重要である気がする。 また、子の人格形成では親と接する機会や会話の質がかなり重要に思えるが、実際にはほとんどの人が仕事で忙殺されており、子供に真面目に接する時間もエネルギーもないのではないかと思う。一方で 不労所得 の富裕層は教育に力を注げるから貧困・格差の再生産が起こるのは明らかである。   私の両親は貧困家庭から私という人格を生み出すために文字通り枯れ果ててしまった。 私自身は父の不可解なまでに強靭な精神力と母の何も気にしない性質を良いものとして受け継ぎ、金銭的な緩さと勉強をしない事は悪い性質として反対の性質を得た。この過程で両親はかなり疲弊してしまったのでその結果としての私は両親に報いるためにも自分の才能を無駄にしないためにも社会に貢献しなければいけないという義務感が今までもあったし今もあるが、そうすることを社会が許してくれなかった時期は非常に歯がゆく悔しいものがあった。例えば絶対に貢献できると確信しているのに落とされる公務員試験や就職試験。 幸いにも今はやりたい事をやらせてもらっている。つらいことはいっぱいあるけど正直神の導きを感じざるを得ない。そろそろ十字架のネックレス買うかな。