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プログラミング

最近プログラミングが完全にSnowballの波に乗った。 つまり指数関数的な曲線の上がり始めくらいになった。 休日もcodingしないと発狂しそうになるからやりまくる。 やべえな

野党の間違い

野党として、政権さえ取れれば俺らがうまくやるんだからまずは何をしてでも政権を奪取してやろうと考えるのは自然である。確かに筆頭野党からはそういう雰囲気が感じられる。だから野党内にはアナリストがいて、国民の中で無視できないシェアを誇るテレビに食い入っているような人達が喜ぶような方法を使いあの手この手で現政権を倒そうとする。野党が政権を取った後今より良くなると仮定するならばなかなか良さそうな戦略である。 でも現に失敗している、政権が取れない。 彼らがターゲットにしている層は投票にあまり足を運ばないのではないか。 投票に足を運ぶ層は本質を見ていると思う、実力で上がって来いと言っている。 また、当該戦略は野党の品位を著しく損なわせている。相手を貶めて優位に立とうとするその方向性は間違っているし実際に機能していないから早急に修正するべきである。いったい何年同じことを繰り返すのか。日本は経済では競争的な資本主義を採用していながら政治においては第一党第二党間の競争がない。それは自明に政治を腐らせる方向に働くがその責任は第一党ではなく第二党にある。民意と離れつつあるなと感じさせる政策を乱打する現与党も倒せないようではそもそも政権を取る資格などない。     

仕事について

仕事は楽しい。先々週めっちゃミスしたけどなんとかなった。 3月に入った時にたまたま個人で3か月間研究してて経験があったから仕事を任されるようになったけどそこで運も絡んで実力がある程度認められて勝手に自分で考えて勝手に動くことが許されるようになった。つまり比較的大きな目標に向かって自分で方向性を考えて自分に命令を下して自分で仕事をするようになった。最初は完全に独立で動いていたけどその過程で力がついて他の人を巻き込むようになって責任が重くなってきた。自分のプログラムがミスれば会社の金が吹っ飛ぶし(吹っ飛ばした)。自分の判断で人が動くようにもなった。 後は会社に博士がいるんだけどその人にそこそこ認められてる感があるから嬉しいっちゃ嬉しい。この会社で仕事は続けたいんだけどプロジェクトが無くなって潰れるかもしれないからちょっと心配。

2020年さよなら

2020年は全てプログラミングに消えた。 一日9時間365日プログラミング効果はやばい。 ところでよく考えれば日本と民主主義は相性が良くない。 特に現代ではあまり民主主義が良く機能していない。若者はほとんど投票に行かない、まともな奴は労働力として搾取されるから政治について考える暇がない。 投票率 は50%前後、50%を割ることもあった。統計的には 投票率 が40%だろうが30%だろうが結果は大して変わらない気がする、一定の母集団をどのように抽出しようとほとんどの場合結果は大きくは変わらない。一方で国民が母集団で選挙に行く人が放った票を観察すれば選挙に行ける人というバイアスがかかっているからこれに関しては民意を正しく反映していないと言える。 投票率 というより投票した奴の意見だけ聞いているから民意を見るという点でおかしい。 だから誰でも簡単に投票ができる仕組みを作らなければならないが、簡単にしすぎると日本でも2020年の アメリカ大統領選挙 のクソ不正祭りみたいな事態がさらに簡単に起こり民主主義の根幹が崩れる。 一番投票に行かなければならない日本人は学校や仕事に縛られて投票に行けない。 個人の問題で考えれば本気で行こうと思えば皆行けるだろうが全体レベルで考えた時は学校や仕事をしている人は投票行動に対して常に負の圧力を受けているから確率収束後確実に一定数は学業や仕事のせいで投票に行かなくなる。 政治は結局は資源配分の手段で、資源を無限にすれば皆ハッピーになれる。資本主義も民主主義も太陽エネルギー全制御と人間の労働ほぼ全部自動化までの繋ぎでしかないからそろそろ古くなってくるし、2020年で既にガタが来てる。資本主義はともかく民主主義は残るかもしれないけど今はもうどういうわけかシステムが良く機能していない。 古代ローマ か ギリシャ か忘れたけどその時代からあったシステムをなんでまだ使っているのか?人口の規模も環境も全然違うのに。 人口が増えまくった時には 社会主義 の方が良く機能する。中国やロシアをみたまえ。ついでにヨーロッパも。日本は強い指導者が必要だったのかもしれない。リーダーとしてトランプさんが就くべきだったのは他でもなく日本だった。 一方で現状のシステムは完璧ではないが未だ最善ではある。だから批判をするだけで代替案は到底出せない。だがこうして批判をするのは日本の若...

日銀どうすんのマジ

  現政権の金融政策は理論上は良かったのかもしれないが、実際には予測されたほどにはよく機能していない。 特に日銀による金融資産の大量購入がやばい、2010年から100億~1200億円のあいだで毎週とかほぼ毎日のペースで金融資産を日銀が購入している。これは金融資産に投資するような資産があって教育も受けているような人間がさらに資産を増やして行くのを助長するだけである。しかし理論上はこの政策は正しい。金を持っていて教育を受けている人間は金をどう使えばいいのかをよく知っているはずであり、彼らが有用な場所や目的に金を使ってくれれば、社会や経済がより発展する方向に寄与してくれるはずである。しかし実際には日本は低成長から抜け出せていない。つまりはこの理論上の前提が間違っていたのではないか。金を持っている連中はこの理論が言う程には高尚な投資思想などは持ち合わせておらず、単に当該金融政策で儲けたお金を自分の力と勘違いし、私利私欲に使い、有効に活用されるべきだった資源が彼らによって無駄使いされたのではないだろうか。もしくは別の理由で政策がうまく機能していないか。   ところでアベノマスクを散々メディアは叩いた来たが、あれにはせいぜい260億円しか使われていない。日本の人口で割れば一人260円以下。 一方で最近は経済の調子が落ち着いてきたから以前のように頻繁には行われていないが、例えば2020年4月なんかは毎日のように1200億円分の金融資産を日銀が購入していた。頻度と規模は異なるがこの金融政策は2010年あたりからずっと行われている。 叩くならここじゃねえのか。 日銀は金を刷りまくって金融資産を大量購入、 ETF の運用手数料を払う以外ではここに税金が投じられているわけではないが、これがインフレを起こせば、それは経済理論上実質的な 増税 と変わらない。 これって結構ヤバイ問題なのにテレビの視聴者じゃ理解できない(とメディアが勝手に決めつけている・もしくは実際に数字が取れない)からこれを問題視するメディアは一部の 経済誌 だけである。 総理が カップ ラーメンの値段がわからないとか漢字が読めないとか言って降ろされてた2008年前後の国民がやばかった時代よりはマシになったけどまだまだ民主主義の割には国民が何も考えて無さ過ぎる。 指数連動型上場投資信託受益権(ETF)および不動産投資法人投資...

キリスト教高負荷(Christianity Overload)

かねてから神に活躍の場を与えて欲しいと祈っていた。幸いにも今は社会に貢献する機会を神に与えられている。 一方で ニーチェ Ueber Menschの思想や ラスコーリニコフ の考え方とは相容れないから中堅ぐらいの貢献を任されていると思う。   「なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」( ヤコブ 4:7)   他人と比較しているとそこで止まる。あなたの周りにいる人がある分野において優れた人間である確率は 統計学 的に少ない。あるとすればそれはあなたがそのレベルに達した後の話である。一方でネット上のトッププレイヤーと自分を比べることは最も愚かなことである。鬱を誘発する行為であり、さらにはモチベーションが重要である鍛錬の場においてそれを奪う行為に他ならない。 自分と自分を比較していると気付けば他の人を ごぼう 抜きしている。 競争的なゲームの腕前でも、英語の実力でも、プログラミングでも同じことが起きた。 自分を昨日よりより良い存在にしようとしてそれを継続することで、気づけば平均を遥かに上回る実力を得ている。私の弱点は、一方で、topに食い込めないことである。ゲームでも中堅止まり、英語力はかなり上位に食い込んだがまだまだ上を見ればきりがないし、英語の筆記でうなるようなスコアを取れるわけでもない。上位層としてそこそこできるの域を出たことがない。   思えば人は自分の可能性を最大化する義務があるように思える。 能力がなくとも、人のためと思って一生懸命に働く人がいる中で、それを達成する力のある人が自堕落な生活を送っているのは聖書が示す通り、罪であるように確かに思える。   故に私は自分の能力を有効に使って人類に多大な貢献をしたい。 そう思いながらも、自分のやっていることに疑問を感じる側面もある。 たとえば、今私ができるのは英語や日本語で情報を発信して人々を啓蒙するか、プログラミングで何か小規模なことをする、または投資行動を取るくらいである。 ブログに関しては規模の拡大性があり、一見よさそうではあるが、あまりにも人が来てくれないため、微妙と言わざるを得ない。プログラミングに関しては、自分の寝ている間も動いていろいろな人の役に経つプログラムを開発する潜在能力はあるものの、現状やってることの規模が小さい。投資行動は規模の拡大性があるが、資金も経験も十分...

人類の叡智を活かせているか part1

これまでに生きた人達の経験が本などの形で蓄積している中でそれらを無視して生きているように見える人がいる。 一方で人類の叡智を完全に無視することはできない。例えば スマートフォン は色々な分野の人々の努力の塊であるが、一度発明されてしまえば、後から生まれた人々は簡単のその利益を享受できる。後から生まれたという理由だけであまりにも便利すぎる。   今まで生きた人達が残した知識には少なくとも4種類ある。 一つには見ただけで役立つ情報、料理のレシピとかパソコンの組み立て方など見て真似するだけで人類の経験を利用できるもの。 2つ目は複雑性が高く、情報が参考の域を出ず、自ら実践や練習をしなければ自分のスキルにならないもの。言語、文章力、プログラミング(自分の知っている分野以外例が思いつかない) 3つ目は2つ目の特徴に加えて、体を使う必要があるため知識だけでは習得が不可能なもの。歌の歌い方、スポーツがうまくなる方法など。 4つ目はそれ以外、研究結果など。   これらは複雑さの度合いが違うだけで本質的には一緒なのだろうか。 3は明らかに異質に見える。しかしながら、世界一のアスリートや歌手を生み出す方法論はまだ体系的に文書化されていないだけで存在するはずである。 2は情報の複雑性及び量が多すぎて文書や、たとえ動画のような形であっても視覚情報のみからの学習には膨大な時間が必要で、やはり自らの認知能力ではなく実践的な学習能力を活用して習得に臨むことがより効率的なのだと思われる。ここに脳の異常な性能が垣間見える。また4は単に文書であり、研究論文の場合は結果だけ利用することができるのでむしろ1に近い性質を持っている。 そう考えると、知識という物はどれも複雑性の違いを持ってはいるが、本質的には同じでもしかすると全て文書化が可能かもしれない   続く